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仙台 ・ 泉ヶ岳ミーティング chronicle

ハガキが届いた・・・ 5年目の「3.11」

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2014年5月26日 撮影







東日本大震災の1週間も過ぎて、、、何処へ行って 何をしようか 皆目見当もつかずにいた。

考え悩んでばかりいても仕方ないので、思い切って 東松島市の野蒜地区に 車を向けた。
で 何処へ行って・・・の疑問は 走らせているうちに おおよそわかってきた
瓦礫に囲まれたところとそうでない地域が 現場に行くことで すぐに解ってきた。

避難所はすぐに見つかった、、、既に物資は2つのテントに積まれて充分。
伺ったところ「生鮮品」が少ないとの事で この時 改めて支援する内容を聞き出し
リンゴやトマトやホウレン草などを四国や長野からかき集め、
倉敷 東京 北海道から 焼津港からも 塩乾物を取りまとめてくれる支援者を募って

味噌や醤油は不足分を補充するという形で 秋田の湯沢から支援して貰って
衣料品も岡山や福島から手配して戴いて、避難所の女性たちに生活衣料品、化粧品を配給して 
夏になれば Tシャツを300枚集め、それをもって東松島と亘理の避難所に訪問して
「らーめん本竈」さん提供のロゴ入りTシャツ20枚が あっというまに捌けてしまった
ことなど 現地でのたくさんの思い出が いまこうして蘇ってきます。

車仲間のイッズミーを通して 支援者と被災者の橋渡しを積極的にやりきった。

その避難所で取りまとめをされていた世話役さんたちが 今 5年を経過する中で
あの時は お世話さま・・・なんて言ってくださって
返す言葉は・・・ とんでもない!お互い様! とだけ

でも その甲斐あって 新しい生活が始まって 今では新居に移り住んだと
ご連絡をいただいて・・・あの時 無心で毎週毎週 現地に出かけて 不足分を聞き出して
支援の日々を送っていたことが いま心の内で「一つの評価する時節に至った」と知る。

世の中 原発被災者や大津波被災者がたくさん行き場所と展望を失っているときに
それからの復興を国が専決しておきながら 原発事故から目を逸らすような
東京オリンピックの誘致に湧くなど 政治に不信を募らせる日々だった。
被災者の気持ちなどどこ吹く風。予算の分捕り合戦に「被災地支援」の文字を悪用する
なんと日本という国は情けない と 何度も嘆いたものだった。


でも あれから5年。

「リフォームしたよ 転居しました 工場が立ち上がったよ」のハガキが届いて・・・
何度も読み返し 文字の裏に「無理」が透けていないか? と心配しながら
ふたたび 何度も読み返し とても安堵し ジンワリした気持ちになった。

「頑張る気持ちがないと・・・立ち上がる力だって足りなくなるから・・・ 」との文字に
喜ぶ中にも 大変さが滲み出ていることを また読み取った。

だから これからも・・・5年前を思い出して 一生懸命がんばって! 応援してます。


被災者を支援するイッズミー有志一同 




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# by sendai-isme | 2016-03-10 10:58 | 東日本大震災 | Comments(0)