仙台 ・ 泉ヶ岳ミーティング chronicle

カテゴリ:東日本大震災( 34 )

宮城や岩手と異質・・・その福島に思う

思うのだが・・・ まだ仙台だから、まだ宮城だから・・・と ひとまず思うのだが・・・
未だに復興という言葉を使えない地域もあることを 忘れないでもらいたい。

仙台に住んでいるから、近隣「支援」も我が身のこととして同列視できる。
さらに 第1ステップ(仮設住宅)のエンドが見えているし、再起も限定的だが具体的に展望もできる。
被災者であっても「やりがい」が可視できるようになった、これが平均的な現在の心情だろう。
もっとも未だに水道が通らない場所もあるのだが。。。

では 福島はどうか・・・? 被曝の積算が高まるばかりの土地に暮らしているのだから
何といったらいいのか・・・? 「支援」が「支援」の意味をなさない。まるで展望がない。
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数日前 東電はまた嘘をついた。2カ月以上たってメルトダウンを認める発言。
当初からメルトダウンの可能性を論議したのに 図解を示しながら「そこまで進んでいない」と言い放ったのは東電社員だったが。
今になってそれを発見したかのように論じている、違うのは言葉だけ。ふざけるな!と言いたい。

まるで伸るか反るかの「ゲーム感覚」な言葉づかいだ。圧力隔壁に数センチ程度の穴?数個? 見てきたようなウソをつくな!
被害はもっと甚大なはずだ。東電社員に現実の被災地の暮らし向きや、将来の展望など全く考えられていない。
覚えておくがいい、君らがその場しのぎで嘘をつくたびに住民の怒りはその濃度を増すということを。

会社の世間体と自分たちのメンツや保身のためなら、配信ニュースに気ごころを加えてもいいのか?
さらに 東電側の隠した嘘に釉薬を掛けているだけなら・・・政治家も同列であり信用できない。
不安だけが残るような政治であってはいけない。

原発政策自体を廃止縮小方向で見直すべきだ。第2第3の事故を招かぬためにも この事故だけに注力できる体制が必要だ。
いまこそ与党も野党も 政局を気にせぬ真の政治を為してほしい。ただし小沢派にとって事故は政局に関わる別物のようだが 笑止!

自民党は12日午後、やっと原発事故に関して自党の責任について言及した。
総裁も政調会長も「自民党政権下で日本のエネルギー政策を推進してきた我々も責任を負っている」と述べ、
原発を進めた同党にも責任があると認めた。何をいまさら空々しい。

政権与党を追求するに我が身に矛盾が内在しては攻めきれないと判断したからであろうが、
「過去のエネルギー政策に盲点あり!」と今さら大見出しを付けて宣言しても、
既に54基もの利権を食い散らかした後とあっては それこそ後の祭りだ。

自民党への献金は1ダースもいる東電役員ら皆一様に20~30万以内の個人献金額だが、
トータルすれば毎年500万以上だそうで、これは企業献金とみなされても仕方のない数字だ。
かつて政権党として、自民党と東電との癒着は献金ばかりではない。

東電の利益は株主に配当され、東電社員の給料、福利厚生に使われ、老後の安定生活をも保証した高額年金に化ける。
しかし、その利益の源となる電気料金の策定には自民党が許認可の指導をしてきたのではなかったか。
社員4万人弱の平均年収700万円以上、役員19人の平均報酬3,700万円。役員報酬全額放棄、
社宅料などはそのままで社員の平均年収500万円上限に削減できるでしょう。
そんな東京電力に入社した今年の新入社員、入社式までに辞退者がいなかったということだが・・・、
倒産するかもしれない東電に入社するとは・・・状況判断がすこぶる悪い としかいいようがないエリートの玉子たちだ。

さて・・・ これは福島だけの問題じゃない。関東 いずれ仙台だって、いや全国であっても「足柄山」と同じ環境の土地があるかもしれない。
まだまだ測定すれば出てくるはずだ。近海においては、どの海域であっても垂れ流した放射性物質は発見されるはず。

それは農畜産物も海水産物も同様に福島だけの問題ではないはずだ。
日本という国を潰し 安全神話を唱え国民を裏切った原発推進派は皆、政治の世界から消え去るべきだ。それが責任のとり方というものだ。

それにしても・・・仙台市は何故モニタリングしないのか。東北電力のモニターに頼ったまま、市としての独自性が全く展開されない。
その東北電力は東京電力同様に原発開発の利権者なのに・・・その彼らのモニターに頼るとは 一体何を意味してるのか? 
無為無策は先々何をもたらすのか? 

市民を護る、市民の不安を取り除くのは地方政治の原点ではなかったか? 
市長として本当にこれでいいのか? 「無能者」と指呼されないよう 市民に向かって明確な答えを示すべきではないのか。



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地元の河北新報紙に 奥山仙台市長批判の声が載ってしまった。
5月16日 夕刊記事である。

宮城知事・南三陸町長 アピールの陰で…
仙台市長、かすむ存在感


 東日本大震災の発生以降、仙台市の奥山恵美子市長の存在感がかすんでいる。マスメディアを活用し、窮状や要望を切実に訴える佐藤仁宮城県南三陸町長や村井嘉浩同県知事に比べ、「動きが見えない」との声は少なくない。被災地最大の基礎自治体のリーダーとして、一挙手一投足に注目が集まるだけに「もっと積極的にアピールしてほしい」との意見は根強い。

◎会見は週1震災前に戻る/「発信弱い」批判も

 奥山市長の指示や生の情報が飛び交う災害対策本部の様子が報道機関に全面公開されたのは、大震災発生から3日後の3月14日だった。市長の記者会見が再開されたのは3月21日。週に2回開いた時期もあったが、現在は震災前と同じ週1回のペースに戻った。

 南三陸町の佐藤町長は町全体が壊滅的な被害に遭って混迷する中でも、3月13日から4月30日まで毎日、記者会見に臨み、全国に支援を訴えた。
 村井知事は災害対策税や水産業復興特区の創設など、賛否が分かれることを承知の上で、復興に向けたアイデアを矢継ぎ早に打ち出し、県内外で議論を喚起している。

 奥山市長も震災以来、被災地の視察をはじめ、県市長会長として国への要望活動、国内外から来仙した要人の応対などに追われたが、庁内からも物足りなさを指摘する声が漏れる。
 ある市幹部は「常に県に先行された感がある。市長は弁が立つのだから節目節目で市民に強いメッセージを打ち出してほしい」と話す。

 市議会の与党会派からも「リーダーシップをフルに発揮し、率先した情報提供を心掛け、市民の安心感の醸成に努めてほしい」と注文がついた。ベテラン市議は「失敗を恐れる職員の考え方から脱皮できていない。国に政策を提言し、実現を働き掛けることは、むしろこれからが重要だ」と挽回を期待する。
 「非常時にこそ、市民の役に立ちたい」と語る奥山市長。政治家としての底力が問われている。


2011年05月16日月曜日
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by sendai-isme | 2011-05-17 23:52 | 東日本大震災

人災。 原発事故の罪の重さ

第66回 仙台・泉ヶ岳ミーティング

 期日 5月8日 10:00~13:00ぐらい
 場所 泉ヶ岳スキー場 大駐車場

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騙されてはいけない。。。

一昨日 福島 飯館村で東京電力の副社長が、 「人災」と初めて踏み込んだ謝罪をした。でも 東京電力ばかりが犯罪者ではない。

もともと日本の原発は自民党、特に中曽根康弘元総理が推進したのではなかったか? 原発は自民党が推進してきた。「電力と権益」問題が根深く絡んでいる。「造れば儲かる」「地元は潤う」と言われ 「箱もの推進」の自民党政治と同調し、「首都圏外し」の安全神話が語られ続け 矛盾だらけと指摘されながら54基も造り続けられた。

東北電力は隠しているが作業中に女川原子炉内にパーツを落とした大事故予備歴があったではないか? 高速増殖炉「もんじゅ」事故問題は ほとぼり冷めたか? 11基もの美浜・高浜原発群。若狭湾にずらり並んだそのわけは・・・年間180億円が関西電力から交付されるからでしょう?グラウンドを4個も造ってどうするの 町長さん? 東海地震問題に揺れる浜岡原発は もっとも脚光を浴びているのに中部電力は無音のまま どうするつもりか?

原子炉を1年運転すると、長崎型原爆が1万発作れるほどのプルトニウムが生まれる事実を隠し、広島型原爆の4万発分の核分裂生成物(死の灰)がつくられると言われる事実もひた隠す。僕も知らなかったが 今原発を止めたとしてもプルトニウムを最終処理しない限り、核は永遠に消滅しないとのこと。六ヶ所村が引き受けてくれてるが 果たしてそれさえも安全とは言えない。

これら「人工放射能」が年々蓄積され 一旦事故が起きれば・・・などと、事実を隠された国民には想像がつかない。安全神話を作るのも人間、それを止めるのも人間、だから・・・原発事故は「人災」問題なのだ。

問題点に蓋をしたまま、営業運転を続ける真意は何なのだ?片方で廃炉を指示し 一方では運転を続ける・・・そういった姿勢が国民に信用されない根本問題なのではないか? 事故が起きたのは未曾有の津波のせいなのか?それで済ませるつもりだから「全国一律運転停止・外部電源見直し基準設定」にはならないのだろう。各電力会社の足並みはバラバラだ。

どうなんだ 東京電力? 原発推進派の責任は全くないのか 自民党? 

この問題には御用学者の存在も重要だ。小佐古氏をはじめ、時の政府の原発推進派・御用学者たちだ。先日 内閣の参与を辞めた小佐古氏は記者会見で涙を流したらしいが・・・なんの為に流した涙だったんだろうか?実に不思議である。 

なぜなら 実に彼こそは原発推進の第一の立役者「御用学者」だったのである。今更 国民に謝る学者様でもあるまい。高貴な持論が否定されたからといって子供のように泣きじゃくるのは何故?

5mSvであるべきが20mSvになったからといって悔しがる理由はないだろう 不思議である。涙を流すなら 持論(安全神話)の崩壊を認め 国民に謝罪してからにしてくれないかっ みっともない!

おそらく辞めたのではなく、内閣参与職を「追放」になったのだろう。この期に及んで持論を頑なに展開し辞めざるを得なかったのだろう。なぜなら彼の安全論は空論にすぎなかったわけだから。さらにその安全神話論で「安全対策が数10年と為されなかったこと」にも問題があるからだ。今さら学者がクビになったからといって事態が好転するわけでもない、犯罪者の涙に同情は止めよう。理想論者が一人減っただけだ。

小佐古氏たち御用学者は罪の深さでいえば 東京電力、推進政治家と同罪だ。とりまく受益団体、東芝・日立などの建造企業なども同罪と僕は思う。騙し続けた人生 始末は自分でつけなさい。

原発事故は人災問題の元凶なのだ・・・ここが非常に切ない 怒りたくとも今日も運転しているという事実があるからだ。菅政権がどうのこうのと矢面に立つ場面が多いが 原発を推進してきたのは もともと自民党なのである。問題解決するまで、自民党のあなた方は福島に居住すべきだ。裏金が争点になった胆沢ダム権益問題の小沢議員、旧自民党の貴方もだ。胆沢ダムの水力発電化に賄賂金を使っては貰えないだろうか? 

地元民の声を聞いて、実際の対応策、その緊急さ・重大さを知って各種検討・対応をすべきだと思う。そうすれば 30キロ圏外の福島県民とだって対等に話ができる、安全地帯に自分を置いてアレコレ言うな!、実際に福島に住んでみて、どんな思いが生まれるのか を体験共有すべき。

ましてや ボーナス返納 役員報酬の減額がきついっ!などと 漏らすんじゃない!(役員報酬を半減しても平均で2千万円超?とんでもないっ)。「安全」宣伝に年間2000億円を費やし地元民を洗脳し、国家を冒涜する。トヨタの広告費のなんと4倍が費やされる、その企業トップが何を言うか!? 

君らの罪で被災者の生活はスッ飛んでいるんだ 役員報酬をゼロにしてでも「弁済」に回しなさい! 電力社員たちの高給年収のために、被災者は塩を舐めて暮らせ とでもいうのか? 

一体全体、自分らの罪の重さを何と考えているんだ? どう捉えているんだ? 
語れるものなら聴かせてほしい。
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仙台市も「線量計」を各公共機関・各学校に設置し、一日当たりの放射線量を計り、市民に被曝量を通知すべきである。
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敦賀原発で微量の放射性物質漏えい
 日本原子力発電は9日、1次冷却水の放射性物質濃度が上昇したため手動停止した敦賀原発2号機(福井県敦賀市)で、排気筒から微量の放射性ガスが外部に漏れるトラブルがあったと発表した。周辺環境への影響はないという。

 日本原電によると、冷却水の放射性物質濃度を低減させる作業を行っていた8日午後、原子炉建屋などからの排気を監視する放射線モニターの数値がわずかに上昇した。

 作業を中断し、関係する機器や配管の弁を閉じたところ、間もなく数値は通常値に戻った。作業系統の一部で放射性物質を含むガスが漏れたのが原因とみられ、日本原電が詳しく調べている。
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by sendai-isme | 2011-05-04 22:45 | 東日本大震災

若葉の定禅寺通り

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仙台も若葉が萌えだしました。

一日に外で遊べるのは1時間だけ・・・公園に出て保育できる
隣りの福島市では そのような状況になりました。
南風が吹く夏の間中は 
仙台に住む者としても似たような感覚をもちます。
仙台市では モニタリングを独自に設置&公表していない (5/19現在)

かと思えば・・・
会津に修学旅行に出すのは親として不安だなどと・・・
親の気持ちを代弁したつもりになってるのだろうけど
でもこの仙台市長の発言はおかしい
さらに・・・
仙台に観光旅行に来てほしい と付け加える。
よく考えると・・・
同じ東北の、原発被害の甚大な福島や会津の皆さんには
たいへん失礼な発言だと言わざるを得ない。

大局を見て発言すべき要職者として、
ともにこの難局を乗り越えよう と呼び掛けることこそ
大事ではないか? そう思う。
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地元の河北新報紙に 奥山仙台市長批判の声が載ってしまった。
5月16日 夕刊記事である。

宮城知事・南三陸町長 アピールの陰で…
仙台市長、かすむ存在感


 東日本大震災の発生以降、仙台市の奥山恵美子市長の存在感がかすんでいる。マスメディアを活用し、窮状や要望を切実に訴える佐藤仁宮城県南三陸町長や村井嘉浩同県知事に比べ、「動きが見えない」との声は少なくない。被災地最大の基礎自治体のリーダーとして、一挙手一投足に注目が集まるだけに「もっと積極的にアピールしてほしい」との意見は根強い。

◎会見は週1震災前に戻る/「発信弱い」批判も

 奥山市長の指示や生の情報が飛び交う災害対策本部の様子が報道機関に全面公開されたのは、大震災発生から3日後の3月14日だった。市長の記者会見が再開されたのは3月21日。週に2回開いた時期もあったが、現在は震災前と同じ週1回のペースに戻った。

 南三陸町の佐藤町長は町全体が壊滅的な被害に遭って混迷する中でも、3月13日から4月30日まで毎日、記者会見に臨み、全国に支援を訴えた。
 村井知事は災害対策税や水産業復興特区の創設など、賛否が分かれることを承知の上で、復興に向けたアイデアを矢継ぎ早に打ち出し、県内外で議論を喚起している。

 奥山市長も震災以来、被災地の視察をはじめ、県市長会長として国への要望活動、国内外から来仙した要人の応対などに追われたが、庁内からも物足りなさを指摘する声が漏れる。
 ある市幹部は「常に県に先行された感がある。市長は弁が立つのだから節目節目で市民に強いメッセージを打ち出してほしい」と話す。

 市議会の与党会派からも「リーダーシップをフルに発揮し、率先した情報提供を心掛け、市民の安心感の醸成に努めてほしい」と注文がついた。ベテラン市議は「失敗を恐れる職員の考え方から脱皮できていない。国に政策を提言し、実現を働き掛けることは、むしろこれからが重要だ」と挽回を期待する。
 「非常時にこそ、市民の役に立ちたい」と語る奥山市長。政治家としての底力が問われている。


2011年05月16日月曜日
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by sendai-isme | 2011-05-01 13:25 | 東日本大震災

連休 配送してきました

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今朝7時過ぎから車に荷物を載せ、集まった物資を東松島野蒜の町に運びました。避難所によってはなんだかいつもの避難所暮らしの様子ではないなあ・・・という変化が出ておりました。

そうなんです、仮設住宅の当選者が出てるようで、それに漏れた方の顔とが差になってたような感じでした。また、被災に遭われた避難所指定宅では朝から総出で支援物資の仕分けが行われていました。明後日5/1に16戸のお宅に物資を配るのでその準備の真っ最中でした。

今日、松島野外活動センターが数キロ野蒜に近まった旧松島第四小学校=松島北地区センターに移動の予定です。中下地区センター60名 常林寺が33名に減員しました。野蒜駅裏地区は元気に70名ほどが暮らしています。

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今日は各避難所にやってくるボランティアの皆さんのために「作業グッズ」を届け 世話人さんに使用方法を説明してきました。作業用ゴーグル 作業用マスク 作業用ゴム手袋・・・すべてアメリカの安全基準をPassしたものばかりです。せっかく支援に来て詰まらぬことでケガをしたり、粉塵災害で肺炎になられたら応援してもらう身にも申し訳なく思いますのでね。
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来月5/8のイッズミーでは 再び生鮮野菜の集荷があります。
皆さん 葉物野菜各種 ドレッシング類 などをお持ちよりください。
それとTシャツの第一回配布が間に合えば・・・できそうです。 
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仙石線野蒜駅の今日現在です。先日のTOMODACHI作戦で駅舎はきれいになったのですが 駅構内には瓦礫がたくさん残されたままです。
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今回から仮設住宅に入られる方が多くなるわけですが、、、プライバシーが確保されると「個」の自覚が出始め、今までは割り箸やプラスチック茶碗で済ませていたものも マイ箸 瀬戸物お茶碗が欲しくなるはずです。

何を言いたいかといいますと・・・義援金の各戸配布と同時に 身の回り品の買い求めに幾ばくかは使われるはずなので その出費を極力抑え 生活費に幾らかでも回すお金の余裕ができれば?と 僕は思うのです。

そこで皆さんにお願いですが 仮設住宅入居が秋から多くなると思うので、できることならば、瀬戸物茶碗 吸い椀 箸 皿(大小)スプーン フォーク・・・などを5客ずつ 供出をお願いできたらと思います。そういう意味では生活支援ではなく「再起支援」といったほうが妥当かもしれませんね。3月は緊急物資支援 > 4月は生活支援 > 5月からは再起支援 という時間の流れでしょうか?

今のうちにご準備をお願いしたいと思います。
キッチン洗剤 たわし 布巾などの台所用品セット、洗濯洗剤 物干しロープ 洗濯はさみ 爪切り 耳かき 麺棒などのセットなども 少しずつご用意くださいませ。今 細かいセットで用意すれば秋口に仮設住居移転プレゼントができるようになります。秋口といえば、、、「冬物衣料」が支援できれば我々としては最大の継続支援ができたことになります。9月で半年、もう少し頑張りましょう!とりあえず 安心して暮らせる仮設住宅への移転を注意して見てゆきましょう。 

今は春、 被災地では夏衣料が不足することが予測されます。「Tシャツキャンペーン」、当面の課題も克服できるように応援してゆきたいと思います。宜しくお願いします。
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by sendai-isme | 2011-04-29 13:53 | 東日本大震災

夏に向けて・・・

●阿部明子さん(36)=東松島市大曲土手下南

津波で亡くなった長男海晴(9)のジャージー上下を捜している。
震災当日に東松島市の大曲小にあったのは確認しているが、翌日にはなくなっていた。
誰かが着て行ったようだ。唯一の遺品。心当たりの方は避難所まで連絡してほしい。


大曲小学校:国道45号線を石巻に向かって矢本の街中を過ぎ、定川を渡る手前で大きく左にカーブします。その基点右手が大曲小学校です。

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今 僕らがすべき 「活動内容」を スローガン的に挙げて行きます。
5月イッズミー(5/8)での「集約」に向け、ご協力宜しくお願いいたします。

支援する区域は・・・都市部ではなく、平成大合併前の小さな生活域、その奥松島野蒜(のびる)地区に目を向けております。地縁 血縁 交流などを通じて知り合った被災区域です。かつてそこは休日にドライブを楽しんだ海岸線「奥松島パークライン」に沿ったエリアでした。その野蒜地区の住民が支援先になります。野蒜地区の住民は4/24現在、東松島市での一次避難民と松島町や美里町での二次避難民とに分けられます。応援する避難所は鳴瀬地区:小野市民センター202名、野蒜地区:常林寺41名、野蒜地区:中下地区センター49名、松島町:松島野外活動センター33名、野蒜駅裏山避難地区69名、さらに下着配布だけでしたが県南の亘理町逢隈小学校300名です。

補足:
震災直後の一次避難先だった学校を教育の場に戻す目的で避難所の統廃合が進められ、その結果、避難生活の場を設定し直したのが二次避難先です。しかし野蒜から遠く7km離れた松島町の野外活動センターという施設であったり、さらに20km離れた地縁もなく所縁もない隣町=美里町の南郷地区であったりして、、、避難民は分散され不自由・不安な暮らしを強いられている問題もあります。

宮戸島の避難先に宮戸小学校があてがわれ500名の島の住民が暮らしていましたが、現在は二次避難先に移動されたようです。この島への道路は野蒜から結ばれていますが、唯一、本土と結ばれていた橋は落ちてしまいました。数日後に鉄板が敷かれて応急処置がなされ、物資は海路ともに運び込まれています。

★Tシャツを送ろう
着古しではない、ヨレヨレでもない、清潔感第一! 未着用大歓迎!
洗濯し、アイロンを掛け、誠意を込めた夏用衣類を集めています。

峩々温泉さん、ラーメン本竈さんからも大量のTシャツ提供を受けております。
岡山のサムネさんから 帽子に続いてTシャツもご支援いただきました!
倉敷の「カモ井加工紙㈱」の鴨井社長 ご協力ありがとうございます!
東京の柴田さんから たくさんの夏物衣料を戴いております。
5/28現在、なんと3ケタ達成! がんばろっ!


集約方法:5月イッズミーにお持込みください。

★魚の干物を送ろう
これが重要です。 医者からは「青魚をたくさん摂りなさい」と問診で言われながら、船が流され生産設備が津波でやられ追討ちで流通が止まり、摂取どころか入荷さえ困難になってしまった貴重な海のタンパク源、、、「魚の干物」を集めています。
アジ開き キチジ開き カレイ一夜干し サバ一夜干し めざし キス連刺し 

集約方法:金曜日夕刻に到着するよう「期日指定クール便」で高橋宛にお送りください。

マッツさん 顔の見える支援活動にご協力いただき ありがとう!

倉敷の「カモ井加工紙㈱」の鴨井社長 ご協力ありがとうございます。


「県外から送る」方は 下記の住所(もときち@自宅)までお送りください。
    
★生鮮野菜を集荷しよう
イッズミーに葉物野菜を持ち寄り、集荷野菜を段ボールに詰めましょう
ピーマン1袋 シイタケ1パック ホウレンソウ1束 キャベツ ニンジン もやし ・・・全部集めれば相当の量になるはず、あとは・・・届けるだけ。お手伝いください。

集約方法:5月イッズミーにお持込みください。

★「いちご」パックを集めよう
イチゴを集めて 避難所のお年寄りに食べてもらおう・・・という企画です
イチゴ 牛乳 練乳をセットで集めようと思っています

集約方法:5月イッズミーにお持込みください。
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★女性化粧品のリクエスト
化粧水 乳液 パフ コットン スキンケア ハンドクリーム・・・など
奥さんに相談してお持ち寄りください。品物がダブっても問題なし。

コスメティック・シュシュ様 お客様の皆さま ありがとうございます。
縁はか細い糸からの始まりでしたが、確実に太くしていただき御礼申し上げます。


爪切り、洗濯用洗剤、柔軟剤、洗濯ロープ、洗濯はさみ、物干しハンガー・・・など

陽気が温かくなると衛生問題が必ず発生します。
うがい薬 家庭常備薬(胃腸薬 風邪薬 解熱・鎮痛剤) ビタミン剤・・・など

集約方法:5月イッズミーにお持込みください。
 
「A&Mプロダクツ」さんから 
防塵マスク 保護メガネ ケミカル手袋など30セット前後提供したいのですが・・・という旨の電話がありました。解体作業ででる石綿断熱材のアスベスト粉塵 漁船解体から出るグラスファイバー粉塵 ヘドロからでる病原菌などの砂埃吸引障害・・・各種予防対策が問われている時に「業界のプロ」が動いてくれました。解体作業用に30セット。特にマスクはアメリカの安全基準を越えて輸出される製品です。

★イッズミーでカンパを集めよう
毎月8万円ほどを集約し 年間100万ほどを日本赤十字社に贈る「通年運動」です。 

集約方法:イッズミー会場のカンパ箱にて集めています。

さて、これ以外にもアイデアが・・・100人いれば100通りあることでしょう。ご自分で避難所に出向き実際のリクエストを聞き、被災者の生の声を耳にする。目に映る現実がより真実を伴って、TVで観たシーンがより生々しく・・・見えてくるかもしれません。その時、支援することの重要さに気付くはずです。

支援は… 国や、地方団体や、一部篤志家や、一部活動家がするものではありません。被災地の現実を眺めると、貴方の抱いていた「組織依存の支援」や「行政任せな支援」というイメージが 今まさに圧倒するその被災規模によって委縮させられてしまうはずです。

でもそのショックからの開放はさほど難しいことではありません。被災という現実に対し 貴方が手を差し伸べることであり、ともに起きることであり、ともに歩きだすことで委縮から開放され、正義が再生され、善意が確認できるからです。またこれは継続して為されるべきことでもあります。

TVコマーシャルでやってますよね・・・「思いはみえないけど、思いやりは見える」って、「心は見えないけど、心遣いは見える」って、AC公共広告機構のあのコマーシャルを まさに今から まさに皆で やってみよう というわけです。それだけで何人の人が早く自立できるかはわかりませんが支援には確実さがないと。だから顔の見える支援が大事なんです。顔が見えるからこそ ロングスパンで支援ができるというものです。 

やがてこれが我々に課せられた責務と思えるはずです。被災地に出かけ、避難所に立ち寄り、世話人さんの要望を聞いてみてください。その時きっと貴方も「支援行動に起つ」人に成り代わるはずです。
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by sendai-isme | 2011-04-24 23:26 | 東日本大震災

今日からは いいことがありそう

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食糧事情もかなり良くなってきました。
今後も、月に一度ですが、、“生鮮品の持ち寄り”運動に、、、ご協力よろしくお願いします。


やっと春になり・・・ 野菜も出回り 市場も賑わい始め 冷凍肉も手に入りはじめました。
とはいえ まだまだ鮮魚は充分じゃない けど 塩干魚なら事情はよくなった。
食料はあっても冷蔵庫がない、“ストックできない” という現実も一方にはあるけど・・・。

仙台市の都市ガス「復旧支援隊」は今日が解散式。消防・レスキュー・救急医療クルー・ガス・電気・水道・下水道・電話臨時基地局など全国の企業・自治体から多大なご支援を戴き、一市民として心からそっと感謝したいと思う。そういえば 私の住む鶴ヶ谷地区は岡山県井原市から派遣された水道局員が給水車で駆けつけていたっけ。今日から東北線が仙台まで開通、仙石線もまもなく塩釜までいける、ガソリン事情は以前の日々に戻り避難所への往来も楽になった。一つ一つ解決していきましょう!

緊急物資の調達から始まった震災直後と比べ 今は日常が復活しつつある。だけど緊急物資と生活支援物資とを取り違え、いまだに「毛布」を送る人がいるらしい。支援物資が積み重ねられたストックヤードは未整理状態が続く。被災地のリクエストに応えず、「支援」に名を借りた「援助の押つけ」は考えものだ。

今日は天気も良いので、朝の7時からカメラを持った。写欲がいつも通りに戻ったかな・・・?久しぶりなので?腕も悪く勘は鈍ってしまったけど?w 早朝の榴ヶ岡公園。梢の先に朝日があたり始めた。茜さす早朝の時間帯を過ぎ、桜本来の薄ピンクになるまで1時間ほど待った。桜の花びらもちょうど良いピンクになる。
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他に劣らぬ、榴ヶ岡公園の見事なソメイヨシノ。拡大してじっくり御覧下さい。

倒壊した家の後片付け、由縁のある私物の捜索・・・遺影、位牌、アルバム。土曜日に伺ったら、仏壇が発見されたとかで中下公民館の世話人:尾形さんは朝から海に向かっておられた。

鳴子温泉や松島・湯ノ原温泉に出かける方々も増えてきている。自衛隊の仮設風呂利用者にも変化があり、一般住宅の方々も利用されているそうだ。プライバシーの確保までには至らぬが、心を癒やす取組みも地域ごとに始まった。

「くつろぎ」の時間が流れるようになり 避難所にも笑いが生まれはじめた。子どもたちのトラウマ対症ケアにも良い結果が生まれることを期待したい。こればかりは学校の先生方でも専門外で難しそうだ。今後のケアに注意しなければ。。。

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あと残すは 今も進行中の原発問題だけになりそうだ。復興の途中で水差すような失態だけは無いようにしてもらいたい。ただそれだけを祈るだけだ。責任追及は安全を確保してから・・・。それにしても雑誌「AERA」には呆れてしまった。 

★お知らせ・・・1
9年も続いた「裏・掲示板」を廃止します。

イッズミーでの勢力地図の塗り替え、意思統一、方向性示唆などに裏掲示板の果たした役割は大きいものでしたが、今回の震災支援に際しては 逆に「表と裏との二重投稿」に矛盾や面倒臭さを感じ、さらに裏掲示板の役目も終えたのでは?と本質的な問題もあり今回削除の結論に至りました。今後イッズミーとしては表BBS一本です、宜しくお願いします。

★お知らせ・・・2
Tシャツを贈ろう
そろそろ 夏もの衣料を集めたいと思うのですが・・・
夏の衣料品の代表格といえば Tシャツ、甚ベえ。
夏用パジャマ 子供用浴衣なども歓迎します。

5月・6月のイッズミーにて集めます! 
今のうちから隣近所に声をかけて 集めましょう!
1人1枚集めれば、簡単に100枚になります。よろしくお願いします

条件として・・・
1.ヨレヨレな「着古し」ではないこと=「未着用」大歓迎!
2.洗濯して 軽くアイロンをかけて出してください
3.子供用は「◎歳児」「小学生」などとサイズを記入してください

「県外から送る」方は 
下記の住所(自宅)までお送りください。

宜しくご協力お願いします。
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by sendai-isme | 2011-04-17 20:46 | 東日本大震災

衣料品の配布に行ってきました

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今日は小雨の中 ライトバンに荷物を積み東松島市鳴瀬町小野の小野市民センターに出向いてきました。先週の物資運搬の折に立ち寄り 今日の衣料品配布の段取りをつけておりました。

高速道路を災害復旧車両に譲ろう!というラジオの呼び掛けにより 利府街道と国道45号線を使って現地に入りました。今日は午後3時に現地入りし、搬入と準備に1時間かけ午後4時半からの頒布を始めました。
何故 夕方から開始するか?という疑問が僕にもあったのですが 皆さんの話を聞いて納得しました。そうなんです 土曜・日曜の休日は自宅に戻って後片付けを為さっているからでした、疲れた体で避難所暮らしの夕食準備などと忙しいので、あえてお付き合いをするなら夕方、夕食前の時間にならざるを得なかったわけです。
1グループ15人ずつ、5回に分けて頒布、最後の掃除と片づけをすべて終えたのが午後7時でした。初めてにしては良くセンター側との意思疎通も上手くゆき 各グループごとの持ち時間を守って戴きながら進行できました。

途中 品物が薄くなってセンターから物資(男女靴下など)を供出してもらいながら持ち込んだ9割方の物資を受け入れて戴きました。この日に向けて支援いただきました・・・
幸和・セーリング様、(有)花甚様、福島・誉田様、山形・伊藤様、福岡・小野様、岡山・佐棟様、神奈川・斎藤様、仙台YMCA山岳会様、㈱寺岡精工様 仙台・ロブワークス長田様 井崎様 うはら様 岡沢様 高橋様、片倉様、仙台・石井様、仙台・森さま VANショップ仙台菊池さま 皆さまご支援ありがとうございました。 当初の配送ができ、元気を届けることができました。

早速ですが・・・次の「生鮮食糧」支援が待っております。集荷と供給の両仕組みを創り上げながら イッズミーの皆さんの資金的支援で年間目標が達成できますよう さらなるご協力をお願いいたします。
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by sendai-isme | 2011-04-09 22:55 | 東日本大震災

生活支援 物資ありがとう

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皆さんから たくさんの支援物資がよせられました。遠くは九州の車仲間から、会社関係では九州 大阪 名古屋 東京 札幌から イッズミー関係では山形 福島 仙台 その他 神奈川 仙台YMCA山岳会 皆さんたちから寄せられました。

下着類 肌着類 靴下 帽子 作業着 作業服 ジャンパー トレーナー ジャス シャツ Tシャツ ゴム手袋 軍手 軍足 洗剤 たわし シャンプー ハンドクリーム 赤ちゃん粉ミルク 紙おむつ おしりふき 除菌スプレー ウェットティッシュ からだ拭き タオル リンゴ 味噌 お茶 お菓子 カップ麺 レトルトご飯 飴 水 ガスコンロ ガスボンベ 長くつ スニーカー ひも 輪ゴム ゴミ袋・・・ 

下の写真は それら皆さんから送られてきた物資で、運ぶのはこれで5回目になります。肌着・下着類で600枚その他400点 リンゴ箱 帽子の箱・・・5回目の支援物資だけでリビングの半分が埋まっております。

中には お菓子やお婆ちゃんの紙細工(上の写真)も送られてきました。
そうなんです 緊急支援から生活支援へと送られてきた物資は変化しております。
皆さん、わかってらっしゃる。。。

次回からは 生鮮食糧の調達が課題になります。
お米、味噌、醤油、調味料、果物と野菜と塩干ブツを送ろうと思います。

福島の野菜が「放射能汚染(?)の風評被害」で売れ残って廃棄されてしまう・・・
それならと 安価に入手し、避難所の皆さんで食べればいいのではないか?
生産者と被災者とを結ぶ、地産地消に似た「支援の仕組み」を考えてゆきたい。

皆さん、今後も継続的なご協力 宜しくお願いいたします。
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by sendai-isme | 2011-04-07 10:52 | 東日本大震災

被災者の需要を満たす物資は・・・

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被災地の子らへ ランドセル支援情報 です
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ランドセルを失ってしまい、元気を失くした子供がいたら・・・㈱土屋鞄店の被災者支援申込先 ↓ に電話してみてください。
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避難所でリクエストの多かった物資は何?

作業服をください 
後片付け用のツナギをください
ヘルメット 長くつ 軍足軍手もください

スクールジャージをください 
パーカ トレーナー スウェットもあればください
子ども用の靴をください

肌着 下着・男女とも不足しております 
爺ちゃん婆ちゃん用の厚手の靴下をください  
赤ちゃん肌着 ウェットティッシュ 赤ちゃんのお尻拭き・・・ください

お菓子 スナック菓子 カップ麺各種 
果物 バナナ リンゴ オレンジ ぽんかん 八朔

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河北新報、今日3/28付けに掲載されていましたが・・・

被災者の需要と合致しない救援物資が多すぎる!とのことです。

まあ、こうなるだろうことは避難所巡りをした者なら瞬時に予見できます。
避難者のリクエストに応えられない救援活動など はなからあり得ないのですが・・・。

各地区の避難所がどんな物資を望んでいるか 地区ごとの避難所世話人にまとめてもらって
マトリックスに捉えて一覧にして掲示すれば 余剰物資が少なくなるはずです。
レスポンス良く集まったものを地区ごと分配・配送すれば 無駄なく回るはず。
神戸震災から16年も経つのに、相も変らぬ方法で救済に取組む地域行政にジレンマを覚えます。

それはそれとして・・・

毛布など冬物は要りません。東北だから寒いだろう・・・お気持ちは理解しますが 
皆さんの大切な物資が避難所に届けられる頃は 東北にも春が訪れているはずです。

春モノ、特に復旧活動に必要なものが欲しいはずです。
作業着 作業用ゴーグル トレーナー 長靴 軍手軍足 ヘルメット 
タオル 下着 婆ちゃん用厚手の靴下 ジャス スクールジャージ 子供用の靴 

子供達には 新鮮な野菜と果物と冷凍肉類です。我が子らを想えば分かるでしょう!? 
子供たちは毎日避難所の庭でスポーツしたりサッカーしたり、遊んでいるはずです。
親戚の爺ちゃん婆ちゃんに電話するのと同じです、切に望むモノを捉えてお送りください。

後片付けの支援について提案します!

仙台は被災地区ですが 全部が全部 被災地・被災者じゃないはずです。
今日から被災者の看板を棄て、支援者に変身して援助活動にご協力ください。
4月になったら、地域や職域から4人一組でボランティア救援隊を結成してください。
4人組で車に乗って移動し、4人組で避難所に出向く。
避難所リスト検索
http://www.google.com/intl/ja/crisisresponse/japanquake2011_shelter.html
そこに行けば 今日の後片付け作業が明確に分かるはずです。
後片付けのボランティアは仙台からの支援が是非に必要です。


今 応援せずに、いつ 応援するのですか???

第65回 仙台・泉ヶ岳ミーティング

 期日 4月10日 10:00~13:00ぐらい
 場所 泉ヶ岳スキー場大駐車場
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by sendai-isme | 2011-03-28 18:51 | 東日本大震災

仙台平野に押し寄せた津波

避難所でリクエストの多かった物資は何?

作業服をください 

スクールジャージをください 
スウェットもあればください

肌着 下着・男女とも不足しております 
靴下 マスク 

お菓子 スナック菓子 カップ麺各種 
果物 バナナ リンゴ オレンジ ぽんかん 八朔

赤ちゃん肌着 ウェットティッシュ 赤ちゃんのお尻拭き・・・ください

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今日は流行の行列、ガススタンドに並びました。少し のんびりしようと思っていましたが、なかなかそうもいきません。秋保温泉は被災者を支援し半値の700円程度で湯に浸かれるようになりましたが もう仙台市民がどっと行くので朝から大賑わい。あの秋保温泉の収容キャパをもってしても 整理券を配り入浴時間を制限する、入浴者を先着で制限するという奇怪な現象が出きておりました。察するに 鳴子も遠刈田もどこも同じだろうと思われました。

今日から新しい支援物資を集め回っております。その道の途中で撮影した三陸道から南道路への「若林ジャンクション」にての画像を掲示します。車に乗っての撮影ですが、まずはそれを見て戴きます。この自動車道が最後の防波堤になったことを物語っています。海岸線から3kmの地点です。僕は昨日の野蒜地区もショックでしたが、100万都市仙台で、ここまで津波がきているとあっては茫然とせざるをえませんでした。これを見たら 昨日までの安全ラインをもっと高みに引き直さなければならんと思えるわけです。
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集約された援助物資は 3/27現在

カップ麺 天ぷらそば  2ケース 24食
濃くトンコツラーメン  1ケース 12食
森永 粉ミルク     1缶
紙おむつ 乳児用    2ケース
紙おむつ 幼児用    1ケース
生理用品        1ケース
ロールペーパー     4ケース 72ロール
乾電池 単1      30本
乾電池 単2      8本

もっとたくさん、リクエスト物資をください 
手渡しで確実にお渡ししてきます
いま援助せずに いつ援助するというのか?

★離島の病院
ガソリン不足で病院にいけない 往診できない 出勤できない 水が足りない 
スタッフがいない 設備が使えない 手術ができない・・・島の医療機関が無くなってゆく
気力だけでは頑張れない 道具を持たずに戦えない・・・そんな状況下、
一体、君は被災地に向かって 何をガンバレというのか?



忘れじの記録 Yahoo ニュース 毎日新聞

東日本大震災 命の電柱…13時間半しがみつき生存 仙台

11日、仙台市若林区の海岸沿いの県道をワゴン車で走行中、左右に激しくハンドルをとられた。電線が波打ち、バチン、バチンと切れる。「こいづは来る」。津波を予期し、そのまま仙台新港のフェリーターミナルに近い事務所まで突っ走った。国道のバイパスに抜ける道は渋滞してしまうと考えたからだ。

事務所の外にいたのは先輩の男性社員(40)だけ。「加藤君、津波だ!」。叫び声と同時に地鳴りのようなごう音が背後に聞こえた。真っ黒い濁流にのまれた瞬間、10メートル程先の電柱に先輩がよじ登るのが見えた。押し流されながら、それに必死でしがみついた。高さ約7メートルの一番上に先輩。そのすぐ下まで登ったが、濁流は足元まで迫っていた。

周囲の電柱はすべて倒れた。しがみついた電柱は、もう1本が斜めに支える2本組みだったことが幸いしたようだ。家屋や大型トラックが流れてくるたびに「ぶつからないでくれ」と祈った。暗闇の夜。ズーンという爆発音と衝撃が伝わってきた。石油コンビナートの方角に火炎が上がり、足元がうっすら照らされる。引き波で海に運ばれていく人の姿が目に入り、思わず目を背けた。現実とは信じられなかった。

寒くて眠気に襲われたが、静寂の中に「寝んなよー」という声が響いた。手の感覚は失われていたが、「誰かが見てくれている」と気持ちを奮い立たせた。夜明け前、ようやくひざ上まで水が引き、先輩と2人で何とか生き延びた。

震災から2週間後の25日。3月分の給与が振り込まれたが、経理担当者は「来月からは失業保険で」と言った。体調を崩し、21年間勤めた自動車整備会社を辞めたのは昨年3月。アルバイトをしながら10月にようやく見つけた仕事だった。「解雇ってことかな」と話す。13年前に倒れた父親(63)を母親(63)と姉(39)とで支えている。「仕事探さなきゃ」と自らに言い聞かせた。

あの日、夜明け前の薄明かりを頼りに100メートルほど離れた立体駐車場にたどり着き、車の中で暖をとらせてもらった。十数キロ先の自宅まで泥だらけで歩く途中でたばこをくれた人もいる。温かさが身にしみた。

「生きてりゃまた、いいことあるよね」

作業着の胸ポケットに入れていたオイルライターを乾かしている。ともに生き延びたライターで一服つけたい。大震災の悪夢も失業の苦難もきっと乗り越えてみせる。【高橋宗男】
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by sendai-isme | 2011-03-27 16:09 | 東日本大震災