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世の中には こんな親父もいる

「非指定避難所」奮闘 仙台・高砂市民センター避難所が閉所

東日本大震災で仙台市高砂市民センター(宮城野区)に置かれた避難所が28日、閉所した。
正式な避難所でなかったにもかかわらず、一時1200人以上を受け入れた施設は、
避難していた住民に感謝されながら、その役目を終えた。

「仙台で唯一、行政の運営でない避難所だったが、皆さんを命懸けで守るという当初の約束は守れた気がする」。
28日夜、施設を管理する仙台ひと・まち交流財団の職員で館長の浅見健一さん(63)は
集まった約60人に向き合い、涙を見せた。 
震災から110日目の閉所式。浅見さんらセンターの職員に感謝の気持ちを示そうと、
一時身を寄せた被災者が花束や千羽鶴を持ち寄った。

センターには、震災発生直後から蒲生や高砂地区などの被災者が押し寄せた。
ピークだった15日には1227人を数え、440人収容の施設の廊下や階段は雑魚寝する人であふれた。
食料の備蓄はわずかで、震災当日に宮城野区に食料の支援を求めた。
しかし、指定避難所でないことを理由に断られた。このことが元消防局職員の浅見さんを奮い立たせた。
「助けを求める人がいるのに指定も非指定もない」。

行政に頼らないことを決め、近隣の企業などに支援を求めた。菓子パン、缶詰、毛布などが次々と集まった。
電気、水道は復旧していなかったものの、避難した住民は震災翌日から1日3食取れるようになっていた。

浅見さんは若林区の自宅に帰らず働き続け、一時は疲労で体重が12キロ余り落ちた。
「施設の指定管理者としての意地。住民を守りきるか、自分が倒れるかだと思っていた」と振り返る。
「支援せずに申し訳なかった」。3月下旬、市幹部がセンターを訪れ、頭を下げた。
センターは4月から正式な避難所となり、近くの避難所にいた被災者も受け入れるようになった。 

「いろいろあったが、被災者が穏やかに生活を送れたのは館長あってこそ」と避難所のリーダーだった
内海達夫さん(45)=宮城野区=。「感謝しても感謝しきれない」と最後に浅見さんをねぎらった。

河北新報 夕刊 2011年06月29日水曜日 避難所 仙台ひと・まち交流財団
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by sendai-isme | 2011-06-29 18:11 | 東日本大震災